コンフォートゾーンを抜け出す心構え:海外滞在中に成長する方法

ロンドンのユースカルチャー代表地、ブリック・レーン

こんにちは、Akaneです。

人生の節目ともなりうる海外進出。殆どの人は多大なリサーチと時間を費やしたのち、大きな期待と不安を抱えて海を渡るものだと思います。

ここで少し釘を差すようですが、期待ばかり抱えていくとその分大きく失望する可能性があります。しかしそれを承知の上で受け入れる覚悟で行って欲しいのです。なぜならそれが自分の成長範囲に大きく影響するからです。

今回は私の経験談を交え、海外で生活する=コンフォートゾーンを抜けるとはどういうことなのかをお話したいと思います!

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私の憧れだったロンドン

ロンドン中では日夜ギグだらけ

私はかれこれ4年ほど海外生活してますが、初めての海外長期滞在はイギリスのロンドンでした。どの国でも良かったわけではなく、絶対ロンドンに行きたかったんです。

10代後半から20代にかけての私は洋楽、とりわけAlternative Rockと分類されるジャンルにハマっていました。 丁度その2000年代初頭はロックンロール・リバイバルと呼ばれる、コンピューターに頼らない60s~70sのような良質な音を鳴らすバンドがアメリカ・イギリスから同時期に頭角を現し、こぞって注目を浴びていた時期です。

その内でも特に一番のお気に入りバンドがロンドン出身だったのです。

当時SNSはまだまだ普及しておらず、海外からの情報が日本語で手に入るのは月イチ発行の雑誌とブログくらいでした。私はもっとリアルタイム情報を現地のメディアから直接手に入れたくて、ネットを使いバンドの現地での活動情報を探っていました。今思えばプチ追っかけっぽい(古い)ことをしてました。

そして彼らのビデオは当時のロンドン、特に東ロンドンを拠点とする若者たちの間の空気を町の雰囲気とともに捉えていました。ヨーロピアンの伝統的で荘厳とした美しい中心部の町並みとは対象的に、モダンなユースカルチャーで溢れた東ロンドン。若手アーティスト達が切磋琢磨し合い、日夜面白げなイベントやパーティが開かれている…日本にいた当時の自分の環境とは全く違っていました。ちょうどハタチそこそこの多感な年代だった私は、自然と憧れを抱き、面白そう!自分も体感したい!と思うようになりました。

その他にもロンドン(もしくはイギリス)出身のお気に入りバンドやデザイナーなどが沢山いました。ロンドンのクリエイターが産み出す作品に私は強く惹かれていました。自分と同じ臭いを(勝手に)嗅ぎとっていたんですね。

加えてマイノリティ性分の私は、英語をみっちり勉強するのなら、日本でベースとなっているアメリカ英語よりも、本場オリジナルのイギリス英語ベースで勉強したかったのです。

渡航後、全てが衝撃

美しい町並みを保つセントラル・ロンドン

このように私は自分の好みや趣味と結びつけて、ロンドンという町を初の海外長期移住先に選びました。

そして色々な準備を経て、ついにやってきた10月の冬の初めのロンドン。

最初の数週間は感動と興奮であふれていました。観光を楽しみ、学校が始まり、友達も増え始め、新生活を楽しんでいました。

が、時間が経つにつれ、色々な事を日本と比べてしまうようになり、次第に不満が噴出し始め、生活に不便を感じるようになってきました。

理想と現実のギャップ

広告やメディアが伝える現地の情報と、実際に自分の肌で感じる現地の感覚の間には、大きなギャップが生じる場合があります。その感じ方は観光目的で訪れるのと滞在目的で訪れるのとでも大きく違ってきます。

私が日常生活から障害となったのはやはり英語、特にリスニングとスピーキングでした。日本である程度準備したつもりでしたが、ロンドンは英語を第二言語とする人が殆どで、様々な英語のアクセントが飛び交っています。日常生活中で相手の言っていることが正確に聞き取れない、自分の言っていることが正確に伝わらないという事がどれほどもどかしいことか、そしてどう対処すべきなのか、日本にいた時から想像することは不可能でした。

そこまでの常識とそこからの常識

日本の外に出ると、それまでの常識という観念は崩壊します。

数多くの家にはバスタブがなく毎日シャワーで済ませるだとか、店員は他の店員と客がいるにもかかわらず大声でお喋りしているとか、学校では授業中でも皆バナナを食べたり、授業に平気で遅れてきたりリラックスムード…という些細な事から、バスや電車に関しては大勢の人が乗っているにもかかわらずいきなり運行停止になったり、時刻表に関してはあってないようなもので、バス停で1時間以上も待った挙句同じルートを行く番号のバスが2~3台連続で来る(酷い時には全部自分が乗るものでない番号)とかいう、時には呆れを通り越して怒りを覚えるようなシーンにも頻繁に直面します。

そして不満や不正を訴えようにも、言葉が上手く伝わらず、結局訴えたいことを訴えきれないまま終わりという、なんともすっきりしない惨めな終わり方を迎えてしまうことが多々ありました。

一貫性でなく多様性

クイーンズイングリッシュ発祥の地ロンドンですが、人種のるつぼである街を歩けば英語以外の言語が頻繁に耳に入ってきます。生活のあらゆる場面、お店、学校、仕事、特にフラットシェアをする場合など、それまでまったく知識のなかった国出身の人とお話する機会が出来たりします。

様々なバックグラウンドの人と生活を共にしたり会話を重ねることにより、生活習慣や価値観などの違いに驚きました。逆に日本の文化やマナーを不思議に思われる事もとても多いです。

そして英語が第二言語とする者同士、スムーズにコミュニケーションが取れない時もしょっちゅうあります。

それでも全ては回っている

ロンドンのスクランブル交差点、オックスフォード・サーカス

こんな全ての文化と思想がごった混ぜで、考えればカオスにもなりうるのに、不思議な事に全てのモノゴトなんとか成り立っていました。言い替えればなんとかするしかないような状況で、皆が常に切磋琢磨しあいながら町が形成されているようでした。

そうやって色々な価値観、思想の間でもまれ、あるいは非常識さの中でもがいていくうちに、気が付かない内に色々馴染みのなかったモノゴトを自分なりに受け入れ、処理できる、自分の新しい部分が形成されていきました。

これを成長と言うんだと思います。

コンフォートゾーンを抜けた先の成長

新天地に大きな期待を抱えて行くとその分だけ失望する可能性も十分にあります。しかし、この振り幅が大きければ大きいほど、渡航前と渡航後の自分の間に成長を見いだせる可能性も大きくなります。そして振り払うのではなく、ありとあらゆる方法を試して、自分のモノにしてしまうことが一歩進むカギだと思います。

きっとサーフィンのようなもの。最初のうちは波に弄ばれてばかりだけど、くじけること無く何度も波に向かっていけば、次第に波に乗るコツがつかめてくるのと同じことです。

自分に馴染みのないものを相手にする場面に直面すると、殆どのケースで人は不快に感じるものです。海外に出るということは、自分のそれまでのコンフォートゾーン(馴染みのある、居心地の良い範囲)の外に行くという事と同意義であることを、肝に銘じていて欲しいと思います。そしてその先にこそ、マジックが起こるものなのです。

 

全てのモノゴトには陰陽があるように、憎しみは愛情の裏返しというように、私の大の憧れだったロンドンでの生活は溢れんばかりの最高の思い出と最悪の思い出で彩られています。そして自分を大きく成長させてくれた場所の一つとして、機会があればいつでも戻りたいと思える数少ない場所の一つとなりました。

自分にとってのそんな場所を、是非海外で見つけて欲しいと思います!

 


 

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